9/27/2009

少年 / 浅川マキ

少年 / 浅川マキ

「 夕暮れの風がほほを撫でる
いつもの店に行くのさ

仲のいい友達も少しは出来て
そう捨てたもんじゃないよ 」

『 少年 』より



【 MAKIⅡ】
このアルバムが発売されたのは今から約40年近くも昔のことで、まだ高度経済成長と呼ばれた時代だろうか。右肩上がりの経済成長を背景に交通網が整備されて地方から多くの人々が労働力として都市近郊に移り住んだと伝え聞く。急速に発展していく都市にはそれこそ人生の希望があり多くの夢があると思うが、そこに飲み込まれていく人間──特に当時の若者が抱いた都会への心情は複雑だったようだ。例えばこういうことだ─、                                                         

【路傍の風景】
「うす汚れたビル、名もない人々の群れ、絶え間のない騒音、身動きの取れない車の列。灰色の空、空間を埋めつくす広告板、欲望と諦めと苛立ちと興奮。そこには無数の選択肢があり、無数の可能性があった。しかしそれは無数であると同時にゼロだった。僕らはそれらのすべてを手に取りながら、それでいて僕らの手にするものはゼロだった。それが都会だった」。 ~村上春樹「中国行きのスロウ・ボート」より~                                                                            
【浅川マキという存在】
話しを戻すと、初期・浅川マキの曲の根底に流れる旅への憧憬──原郷へのノスタルジーはそんな時代の代弁だったというのが今回の拙文の趣旨なのだが・・・当時を知らない者のお門違いな考えかもしれない。彼女は夜や港をモチーフにウイットある言葉を歌詞に織り込み、都会の孤独や寂しさを数多く歌っている。僕には独り暮らしや幻の男たちといった言葉は当時の上京してきた多くの若者達の群像そのものに感じる。                                                               
・・・・・・
               
地下へと下る階段、扉を抜け劇場の中へ入るとなんの装飾もない舞台、楽器に埋もれるように静かに佇む演奏者たち。舞台中央には三脚の椅子とその上に乗る一枚の灰皿が見える。彼女のたった一つの小道具。 やがてスポットの光に立ち昇る紫煙とともに黒髪に黒い衣装の女が一人。                                                              



【アンダーグラウンド】
寺山修司の演出によるデビュー以前にはシャンソン喫茶”銀巴里”を始め米軍キャンプやキャバレーを渡り歩き、マヘリア・ジャクソンやビリー・ホリデイを持ち歌にしていたという。元々、本格派志向な感性を持つ人なのだろう。その後のキャリアで非歌謡界な世界へ積極的だったことが十分に窺える話だ。                                                       
2009年、現在も公演と作品に全てを捧げて活動する浅川マキという歌手。その寡黙な姿勢はメディアを遠ざけた場所に今も存在し全ては聴衆に委ねられている。                                                                        
PIT INN で歌って、30年は経つだろうか。
其処で出逢った素敵な演奏者たちは、ワン・コードを
自由にチェンジしてゆく。
「 昨日はこうだったから、と、頭をよぎれば
瞬時に歌が遅れをとる。
同じ曲目が、今日は、またひとつ、新しい世界を生む 」
そんな演奏のなかでは、「 詩を言葉をのせて、自由に歌えばいい 」

1960年代からの長い歳月、新宿の街を彷徨、その
変遷して行く様相に時代の流れが垣間見えた。
だが 、(中略) まだ、ジャズの深さは見えない。

さあ、浅川マキのライブを始めよう
「 どうかしら、ね 」
それは、いつだって、足を運んでくれる、観客に委ねるのだから。
~ 浅川マキ 大晦日公演パンフレットより ~