9/27/2009

~Interlude Ⅶ~ 『 少年 』 『 Catalonian Nights 』 『 映画 Le Bal 』

◆ ◆ ◇ 独立した3つのショート・レビュー ◇ ◆ ◆



少年 / 浅川マキ

「 夕暮れの風がほほを撫でる
いつもの店に行くのさ

仲のいい友達も少しは出来て
そう捨てたもんじゃないよ 」

『 少年 』より


【 MAKIⅡ】
このアルバムが発売されたのは今から約40年近くも昔のことで、まだ高度経済成長と呼ばれた時代だろうか。右肩上がりの経済成長を背景に交通網が整備されて地方から多くの人々が労働力として都市近郊に移り住んだと伝え聞く。急速に発展していく都市にはそれこそ人生の希望があり多くの夢があると思うが、そこに飲み込まれていく人間──特に当時の若者が抱いた都会への心情は複雑だったようだ。例えばこういうことだ─、                                                         

【路傍の風景】
「うす汚れたビル、名もない人々の群れ、絶え間のない騒音、身動きの取れない車の列。灰色の空、空間を埋めつくす広告板、欲望と諦めと苛立ちと興奮。そこには無数の選択肢があり、無数の可能性があった。しかしそれは無数であると同時にゼロだった。僕らはそれらのすべてを手に取りながら、それでいて僕らの手にするものはゼロだった。それが都会だった」。 ~村上春樹「中国行きのスロウ・ボート」より~                                                                            
【浅川マキという存在】
話しを戻すと、初期・浅川マキの曲の根底に流れる旅への憧憬──原郷へのノスタルジーはそんな時代の代弁だったというのが今回の拙文の趣旨なのだが・・・当時を知らない者のお門違いな考えかもしれない。彼女は夜や港をモチーフにウイットある言葉を歌詞に織り込み、都会の孤独や寂しさを数多く歌っている。僕には独り暮らしや幻の男たちといった言葉は当時の上京してきた多くの若者達の群像そのものに感じる。                                                               
・・・・・・
               
地下へと下る階段、扉を抜け劇場の中へ入るとなんの装飾もない舞台、楽器に埋もれるように静かに佇む演奏者たち。舞台中央には三脚の椅子とその上に乗る一枚の灰皿が見える。彼女のたった一つの小道具。 やがてスポットの光に立ち昇る紫煙とともに黒髪に黒い衣装の女が一人。                                                              


【アンダーグラウンド】
寺山修司の演出によるデビュー以前にはシャンソン喫茶”銀巴里”を始め米軍キャンプやキャバレーを渡り歩き、マヘリア・ジャクソンやビリー・ホリデイを持ち歌にしていたという。元々、本格派志向な感性を持つ人なのだろう。その後のキャリアで非歌謡界な世界へ積極的だったことが十分に窺える話だ。                                                       
2009年、現在も公演と作品に全てを捧げて活動する浅川マキという歌手。その寡黙な姿勢はメディアを遠ざけた場所に今も存在し全ては聴衆に委ねられている。                                                                        
PIT INN で歌って、30年は経つだろうか。
其処で出逢った素敵な演奏者たちは、ワン・コードを
自由にチェンジしてゆく。
「 昨日はこうだったから、と、頭をよぎれば
瞬時に歌が遅れをとる。
同じ曲目が、今日は、またひとつ、新しい世界を生む 」
そんな演奏のなかでは、「 詩を言葉をのせて、自由に歌えばいい 」

1960年代からの長い歳月、新宿の街を彷徨、その
変遷して行く様相に時代の流れが垣間見えた。
だが 、(中略) まだ、ジャズの深さは見えない。

さあ、浅川マキのライブを始めよう
「 どうかしら、ね 」
それは、いつだって、足を運んでくれる、観客に委ねるのだから。
~ 浅川マキ 大晦日公演パンフレットより ~

text and traced by【 gkz 】



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"Catalonian Nights"~デイルとフランシス~

アルバム「Bouncin'with Dex(1975)」より 
演奏:Dexter Gordon Quaqrtet  STEEPLE CHASE PRODUCTIONS SCCB31060


【出会い】というのは、「会うべき人と、会うべき場所で、会うべき時に」成就する。
「出会い」が成就する為の要素というのは不確定なものであるが故に、
出会った後「会うべき人に会う為に進んできた道を来た私」が作られる。
物事が実現した後はじめて、その物事を行っていた過去の私というものを事後的に認知するだけで、
要するに【偶然】なのかも知れない。

しかし「偶然」とは思えないと云う理由に、その事自体が願望に含まれているからであり、
現実と願望が合致した人はそれを宿命などと【錯覚】する。
残念ながらその「錯覚」は、未来について数多くの可能性を挙げ、
その可能性に近ずこうと歩み続ける者にしか起こらない現象だと思う。

デクスター・ゴードンがニューヨークを去りヨーロッパに渡ったのも偶然。
彼が渡欧した時に知り合ったピアニスト:テテ・モントリューとの出会いも偶然。
たまたま観たこのブログも偶然。

あなたは自分の未来について、どれだけ開放でき「錯覚」を観る事ができるのか?
その時このアルバムが、このjazzmanが、このブログが事後的に認知して貰えれば...

デクスター・ゴードンのように、真に自由な人間だけが【宿命】に出会うことが出来る。

text by【 DJ 】




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" J'attendrai "と映画" Le Bal "

J'ATTENDRAI(1938仏) 作曲Dino Olivieri

この曲は、イタリアの指揮者ディノ・オルヴィエーリによって作曲された。
原題は"TORNERAI"(193・伊)だが、後に改編された歌詞が
戦争の終結を待ち侘びる人々の心を射とめ大ヒットとなった曲である。
歌っているのはイタリア生まれでフランスに在住していたリナ・ケッティ
(彼女の他にはTino Rossi、Dalida等も歌っている)。

彼女の夢見るような可愛いらしい声と各所にみられる効果的なポルタメントのおかげで、
何時聴いても全体が柔らかな羽毛にふんわりと包まれているような心地良さを感じる曲だ。

"J'attendrai"-Rina Ketty      YouTube

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映画「ル・バル」は、非常に稀有な映画だ。
舞台はパリのボウル・ルーム(ダンスホール)。
時代設定は1920年代から1983年までの約60年間。
登場する役者たちは初めから終りまで、一切の言葉を発しない。その代わり、
その時々に巷で流行った音楽に身を委ね、文字通り「踊って、踊って、踊って、踊る」のだ。
この制約は観る側(とりわけ外国人)にとって其処に集う男女の
一挙手一投足にまで気を配って観られる好結果となり、
いつの間にか物言わぬ彼等の仕草や表情に引き込まれてゆく。

監督のスコーラは本作品の全てのシーンをこのボウル・ルームだけで撮り切っている。
この定点観測のような視点もまた、登場人物のファッションやダンスのステップによって
移り行く時代背景や機微を完璧に映し出す効果を加速させていると思う。

映画"Le Bal"より1シーン    YouTube

またアナヨル的視点に立って見ると、音楽の聞かせ方が見事であると思う。
所謂シャンソンをメインとする時代のシーンでは小編成(ヴァイオリン、トランペット、
ピアノ、アコーディオン、ドラム、ウッドベース)の楽団がフロアの片隅で生演奏を続け
戦時下には古いラジオ、アメリカからジャズがもたらされた時代には生バンドが支え、
現代に至ってはレコードに針を落とし…といった具合に、時代と共に移り行く
「聴きかた・聴かせかた」の時代考証もしっかりとしている。

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そして、この映画の中で前述の『待ちましょう』が幾度か使われている。
運命の人との出会い。 一夜の恋の相手。 不仲な妻の気持。
浮気癖のある恋人の心。 ナチ占領下の、解放軍の到着。
レジスタンスとなり居なくなった最愛の人。 平和。
それまでのフランスには無い、新しい価値観とスタイル。
そして、自由と革命…

各人の立場や時代によって変わりゆく"待っている物"が、
このボウル・ルームにはひしめいている。

そして、全てを見守ってきたボウル・ルームもまた、こんな心持で
此処に集う男女が紡ぐ様々なストーリーを待っているのかも知れない。

待ちましょう、昼も夜も。
いつも あなたの還りを 私は待ちましょう。
飛びゆく鳥も 羽を休めに戻って来るのですから。
~"J'attendrai"冒頭部分の訳詩~


ともかく、観て欲しい映画。そういう事である。

text by 【 電気羊 】