1/24/2010

浅川マキさん

17日に 歌手の浅川マキさんが
公演先の名古屋にて 亡くなられました。

拙ブログメンバー3名は
今週のレビューを彼女に捧げたいと思います。

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マキさんの訃報を聞いて

25年以上常駐している仕事場に行く途中の電車の中で、
「呆然…」と一言だけ書かれたメールを知人から受け取り、マキさんの訃報を知った。
余りに思いがけない知らせに胸が震えたが、その30分後には仕事場に着きピアノに
向かった。自分も半ば呆然としたままマイ・マン、グッド・バイ等を弾いたけれど、
果たしていつも通りに弾けたかどうか…判らない。

その夜 思い浮かべたのは、渋谷毅さんのことだった。
ある晩 渋谷さんの深夜のピアノ・ソロを聴きに行った時、彼の"マイ・マン"を聴いて
「此処にマキさんは居ないけれど、今 渋谷さんはマキさんの伴奏をされているのかも」
と、ふと思ったことがある。その後マキさんがライブで"マイ・マン"を唄った時、
渋谷さんはいつもアケタで弾いているアレンジやKeyもそのままに、"マイ・マン"を
弾かれていて、それがマキさんとぴったり息が合っている様を目の当たりにして
「ああ、やっぱりそうだったんだな」と腑に落ちたことを覚えている。

互いの音楽性を何ら邪魔すること無く、一つの世界を創っていける共演者というのは、
例えが変で申し訳ないが、血を分けた肉親や子供、肌と肌を合わせあった恋人や夫婦
よりも、時に親密で深い部分で本能的に分かち合える部分がある、というような印象が
あって、そんな相手に巡り会えるという事は稀有なことだろうと思う。そして30年以上
もの間 互いにそんな存在であり続けた浅川マキ&渋谷毅という二人は、正にそういう
二人だった(過去形で書くのは辛い)んじゃないかな、と思う。

"親友といっていい友人が死んでいくのは自分が死んでいくのと同じだ。"と、以前
ブログで書いておられた渋谷さん。自分は単なる一聴衆に過ぎないが、どうぞこれからも
あの素敵なピアノをずっとずっと聴かせて下さい、とネットの末席から願うばかりである。
(私事&とりとめの無い内容で、申し訳ありません。)

text by : 電気羊


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【 マキさんの Beyond the flames 】


『   雨── 雨かしら キレイね 
ビルとビルの狭間 橙色の明かりが
雨 今夜はそろそろ眠ろうかな

女は何故 何故、傘を閉じたまま
バイオリン 軋む プリーツ  眠ろうかな

猫 猫の死
彼は蹴られれば 蹴られたままでいる
秘密の 猫の秘密の生涯 
残酷なフォノグラフィーのよう

雨──
今夜はそろそろ眠ろうかな
      そろそろ眠ろうかな   』
  
浅川マキ

2009年9月27日・新宿ピットインにて秋公演の第二部の冒頭より
「ビヨンド・ザ・フレームス」渋谷毅の演奏に合わせてのモノローグ


遅れてきた浅川マキのファンとして
ライブを観に行くようになってから数年は経つだろうか。
年末恒例の大晦日公演を見逃した僕にとって、
昨年9月に彼女を観たのが最後となってしまった。

・・・・・・
暗闇に包まれた空間と朧げな光で演出される浅川マキ公演。
歌手と聴衆──スポットライトが照らす舞台と客席との間には
常に明確な一線があったと思う。

父権性を帯びたクールネスと呼ぶべき浅川マキ独特の世界。
たとえ娼婦や路地裏の日陰──そういったモチーフを元に
人生の孤独を歌っていても・・・うまく言えないが、。

共演する演奏者はもちろんの事、
観客の側にも馴れ合いを認めない──
そんなスタンスだったと思う。

それでもときには観客の反応を機敏に察知したのか
思いのほか闊達な声で話されることもあったし、
稀に曲に関する前振りをしてくれたこともある。
それは寺山修司との作品を巡る議論であったり。
戦争や差別に関する言及、或いは安易な言葉狩りに
対する懸念といったすこぶる硬派なトークだった。


マキさん──
体からマイクを離して歌う姿が強く印象に残っている。
小柄な体から発せられるその声はいつだって──
そう・・・ いつだって強く観客側に響いていた。

text and traced by【 gkz 】


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【浅川マキさんの訃報に寄せて】


偶然3つの事が、たまたま重なったのかも知れない。
それを私が無理やり繋げようとしているかもしれないが、
現実に起こっており私にとってとても重要な出来事と思い
この様な形で記している事を 始めに御了承頂きたい。


1/17(日)21:00
或るブルース・シンガーの方から
「ライブをやるのでレコードを選曲・回して貰えないか?」との依頼があった。
彼とは以前より面識もあり、数年前にもやはり彼のライブでレコードを
回した事があったので 快く依頼を受け吉祥寺へと向かった。
彼の唄...「唄」と言うより「唸り」とでも言おうか?
...がドブロ・ギターと共に始まり、中盤に或る曲を歌いだす....

『 カモメ 』だった。

ライブ後、彼にこう尋ねた
自分:「どうして、カモメを選んだの?」
彼 :「以前、XXX(私の名前)さんが僕のライブの時、
浅川マキさんのレコード回したでしょ?
それからレコード買ったり、ライブを観に行くようになって...」

彼の唸るような歌が、荒くれ船乗りの不器用さ、
彼の不器用さが心に沁み、またDJ冥利につきる一夜だった。


1/18(月)5:30
始電車で自宅へ戻ると1枚のFAXが届いていた。
私の母親の弟(おじさん)の訃報だった。
このおじさんは私に初めて『楽器』を買い与えてくれた人だった。

悲しいから涙がでるのか、それとも涙がでるから悲しいのか判らないが、
泣いた。枯れるまで。


1/18(月)17:30
おじさんのお通夜に行く電車の中で友人からのメールが届く。
誰かの訃報の知らせだった。


浅川マキさんの訃報であった.....言葉が出ない。


1/19(火)11:00
火葬場にて。
煙突から微量の煙が出ている。
父親を亡くした時に母親に言われた事を思い出した。

『 いい人も、悪い人も、みんな煙になっちゃうのよね..... 』

煙突からはまだ煙が出ている。



以前、或るピアニストの方が「浅川マキさんとの共演について」こう語っていた。

『いや~、マキさんが何をしようとしているのか僕にはさっぱり解らないんだけど、
一緒にやっていて凄く楽しいんだよね~。マキさんはドラムやピアノが鳴っている所に
「赤いハイヒールが~」って言葉が一言 お客さんの記憶に届くなんて素晴らしいじゃない?
って言ってんだけどさ~ ん~』 。


浅川マキさんのライブはいつも聞くものに委ねられていた。
今回の浅川マキさんの不幸な出来事も皆に委ねられているが、
しかしその問いに答えても返答がないのはあまりにも悲しすぎる。


【text by DJ】



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追記 関連レビューとして 
『山河ありき』
『少年』