2/07/2010

ラヂオスターの悲劇



1981年8月1日 アメリカ。
若者向けに24時間ミュージック・ビデオクリップ流し続ける放送番組「MTV」がスタートした。
オンエアー第1曲目に選ばれたのが、ジェフ・ダウンズ、トレヴァー・ホーンにより結成されたグループ
「The Buggles 」の「Video Killed The Radio Star」だった。



歌詞の内容は時代の変化・ハードウエアの進化により衰退を余儀なくされたラジオスターをオマージュする内容をエレクトリック・ポップに仕上げた曲。(数年前にテレビCFにも使用され若い世代にも馴染のある曲では?)

グループの活動停止後、ジェフ・ダウンズはロックバンド「AISA」へ加入し、トレヴァー・ホーンは「Art of Noise」等を抱えたレベール「ZTT」のプロデューサーとして活動を始め、1983年に再結成したプログレッシヴ・ロックバンド「YES」の「ロンリー・ハート」は彼の名前を一躍有名にしたのは言うまでも無い。

(ハードウエアの進化については interplayⅢ:ラヂオ・デイズ[ラヂオの夜明け]を参照・御楽しみ下さい)



ビデオ・デッキの普及はラヂオスターだけでなく、『もう1人』衰退に追いやった。



ニュージャージー州カムデンで工場を経営する「リチャード・ホリングスヘッド・ジュニア」は自動車と映画をこよなく愛する人であった。
彼は日々「車に乗りながら、映画を観る事が出来ないものか...」と考え、或る物を発明した。




そう『もう1人』は...【ドライブインシアター】だ。



ドライブインシアターとは巨大な駐車場にスクリーンを配置し、車に乗ったまま映画が鑑賞できる映画上映施設であり、
駐車場に巨大なスクリーンが設置されており観客の乗った自動車は駐車場内の白線に停まりスクリーンに上映される映画を鑑賞する。
音声は自動車内にあるラジオで受信する方法・駐車場にあるポールから音声を引く場合もある。

ドライブインシアターは1950年末~60年初頭にブームのピークを迎える。
人気の理由は「安心して家族全員で映画を観にいくことができるという事」でリチャード・ホリングスヘッド・ジュニアは開業時に「どんなに子供が騒がしくても気にせず家族みんなでお越しいただけます」と宣伝していたそうだ。
また、家族連れだけでなく若いカップルのデートスポットになっていた事も付け加えたい。

しかし、70年代以降は天候や時間帯(夜間のみ)、広大な敷地の確保及びコストの高さ等の収益性に問題が発生。
更に収益確保によるポルノ映画上映、さらに自動車という密室と云う空間でのモラル。そして先にも挙げたビデオの普及....などの理由で衰退の一途を進む。
日本でも80年代に入り郊外などに普及したが、現在では神奈川県大磯市にある大磯プリンスホテル第一駐車場を使用した
「ドライブインシアター大磯」が日本唯一のドライブインシアターとなってしまった。

モータリゼーション発達は自動車産業の発達だけでなく、公共事業や流通事業等の変動による景気の上昇といった経済上の変化も発生させた。更に都市部だけでなく地方や過疎地の生活も変化させ人口の流入・流出も加速させた。
ドライブインシアターもその中の1つで経済上の変化をもたらし、新しいライフスタイル・娯楽の提案と言った所であろうか。
また、70~80年代初頭にドライブインシアターで上映されていた所謂「B級映画」の温床になっておりB級映画ムーブメントに深く関係していた事も付け加えたい。



さて、勘の鋭い読者の方々は気が付いていると思うが、
こんな強い影響力持ったビデオ・デッキは「誰に」よって衰退の道を進んだのか?

「CD?DVD?それともBlueray?」
なかなかいい線いっているが、ちょっと違うね。




それは今、貴方が覗いている、その画面では?







【参考資料】
・ドライブインシアター大磯 web(http://kurumadeeiga.com/)