4/05/2010

桜の季節によせて




最近、歌の伴奏や、セッションなどにお声を掛けて貰う事が多い。
自分では「声を掛けて貰うほどの演奏ではないのだが...」と思うが。


バンドを組んだり、楽器を演奏したことがある人なら知っていると思うが、曲を演奏するにあたりちょっと
した「決め事」がある。この「決め事」がないと各楽器の演奏者の自由気ままにより基の曲とかけ離れたも
のになってしまう恐れがある。(勿論、基の曲とかけ離れたものが好いと云う人もいるが)
それを紙に書き起こしたものが「譜面」だ。




譜面が読めない人もいるかもしれないが、上記のような譜面を見たことがあるのではないかと思います。
五線譜にメロディ(レ、♭ミ、ミ、ファー ...)があり、五線譜の左上にコード(B♭7、E♭7、B
♭7)、そして曲のテンポの速さ(4beat ♪=90)が記譜されている。
簡単に説明すると「指定されたテンポで、指定されたメロディ(指定された高さの音を指定された音符の長
さで)を奏で、指定されたコード(和声)を曲中の指定された部分で鳴らすと、こういう曲が【再生】でき
ます」。要するに譜面に書かれた内容に従って演奏すれば、「何時、何処でも、誰でも基の曲が【再生】可
能です」と。
レコードプレイヤーの再生技術が発達・発展前は1曲ごとに楽譜を印刷・出版・販売し、それを基に演奏し歌
う事により再生された音楽を「シート・ミュージック」と呼ばれており、楽譜の内容はは「3段の五線譜」に
より、唄のパート、ピアノのパート(ピアノ譜は2段)となっていた。
(実はこれ19世紀終わりから20世紀初頭頃の話で、結構遠い話しではなく自分からみて3世代前の話で、もし
かしたら読者のお爺さんとか見ているかもしれないですから)



ポピュラー・ミュージックにおいて特にピアノ・パートをコード・シンボル【記号化】したことは、かなり画期的な事でアンサンブルにおいて最低限の「決め事」を守っていれば、演奏者の独自の解釈により演奏がより自由になった。
曲を1度、旋律とコード進行を記号化することで分離して各々プレイヤーが音楽的要素を把握し解体・再構築を即時即決しながら演奏を進めていく。この様な発想が如実に現れたのが「Be-bop」ではないでしょうか?
しかし、近年ではこの記号化された物を操る事がイコール「アレンジ」と云う考えが蔓延し、記号を複雑化
し情報を詰め込むイコール良いアレンジなどと。その反動か音楽を「音響」によって聴く傾向も多く見受け
られ、良い悪いとは別で我々はその様な複雑化した情報に対し疲れ果てているのかも知れない。


ザッとではあるが、現在当たり前の様に扱われ当たり前の様に記譜している譜面も時間を経て現在に至って
いること、無論、音楽を記譜するまでにも長い時間を経てきた事も忘れてはならないし、また現在に至って
は既にこの様な事の役割を終え譜面が「数値化」されている事も見逃せない点、更にアンサンブルにおいて
大前提となる調律(チューニング)の意味なども個々に探ってもらえれば幸いで。




人と何かをやる時、結構面倒くさかったり、手間が掛かりイラッ!したり、自分が描いていた事と違ったりする事がなどと多かったりすると同時に、予想以上に楽しかったり、意外と手間が掛からず簡単に出来たり、などということも多かったりしますが、実はこれ一番重要な事だと思います。

音楽だけでなく、仕事やスポーツ等の団体競技などにも共通すると事だと思いますが、
ある事柄に対し理解・把握した自立した人が集まり、力を合わせて何か行動を起こすと、
出て来た結果に説得力のような厚みのあるような「何か得体の知れない力」が必ず出てくる。


我がブログも気が付けば2年目に突入し、読者を含め関係者の皆様のお力添えの賜物です。
4月という新年度で更なる人との出会いが皆様にとって「何か得体の知れない力」が出せるように...。










【参考資料】
・スタンダード・ジャズ・ハンドブック / 伊藤伸吾・編(中央アート出版)
・図解雑学 構造主義 / 小野功生・監修(ナツメ社)