9/29/2011

子供の領分 / Children's Corner " Doctor Gradus ad Parnassum "



at Azabu-juban Patio Square

東京の麻布十番、商店街の一角にケヤキの木に囲まれた小さな広場がある。そこには小さな像が佇んでいる。詩人、野口雨情の童謡をモチーフにした僅か60センチほどのちっちゃな女の子───赤い靴の女の子だ。

Ujo Noguchi's Red Shoes

大正11年に発表された「赤い靴」。あの、なんとも哀しい歌詞は実在した少女をモデルにしていると云われている。かつて少女が暮らしていた孤児院が麻布界隈にあった関係でこの地に銅像が建てられたのだ。ただし、現在伝えられるエピソードについては創作だという異論もあり、詩の解釈を巡っては政治的な論争すらあるそうだ。

野口雨情については以前にも僕は取り上げたことがある。『 夢のシャボン玉 / I'm Forever Blowing Bubbles 』との関連性なんかをその時は考えたものだった。それでも少女への想いだろうか、それとも手放せざる得なかった母親への共感からだろうか・・・赤い靴の女の子の像は現在、麻布十番を含めて日本中で7つあるというから考えさせられる。

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Convention on the Rights of the Child

1989年の国連総会において満場一致で採決された、ある条約がある。それは子供に関する大人の責任を明言した国際的なメッセージだ。以下簡単に紹介しようと思う。

「すべての人々───あらゆる民族的・国民的・宗教的な集団、それらの人々の理解と平和、寛容と平等と友好の精神の下に、子供が自由に生活を送れるようにすること」

「子供の人格と才能並びに精神的及び身体的能力を最大限可能なまでに発達させること」


こうして改めて書き記してみると、20年以上経った今でも現実問題としては難しいのかも知れないが・・・どうだろう。理想主義的でも目標はあった方が良いとは思う。

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Doctor Gradus ad Parnassum
Claude Debussy

話は変わるが───、作曲家クロード・ドビュッシーは幼い頃、父が投獄されて小学校にも通えないほど過酷な生活を強いられたという。ひとりで里子に出されからは、無口でとても内向的な少年になったそうだ。1870年の普仏戦争(フランスとプロイセン王国の戦争)、日本では幕末の頃の話である。

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ドビュッシーはその後、46歳の時に『子供の領分』というピアノ組曲を発表している。愛娘の誕生日プレゼントとして作曲された”人形のセレナード”や”象の子守歌”といった曲が並ぶ童心や遊び心をモチーフにした作品だ。"子供の領分"は異例ともいえるほど簡素な手法で作られた作品───と専門家は言っているのだが・・・本当か。僕なんかが聴くと物凄いくらいに演奏技術が高度に感じるのだが……。

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その中の第一曲、『グラドゥス・アド・パルナッスム博士』という曲があるのをご存知だろうか。この一風変わった曲名はソナチネで著名なクレメンティのピアノ練習曲から付けられたと云われる。娘のピアノ・レッスンの様子を見たドビュッシーが情景をそのまま曲にしたのだという。曲想は爽やかにして軽快。淡白な終わり方までが微笑ましく感じる曲だ。

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Children's Corner

練習も大事、勉強も大切、しかしながら子供の暮らしにおいてまずもって重要な活動は”遊び”そのもの───それこそが子供の領分。僕はそう解釈している。麻布界隈を散歩しながら幼少期の遠い記憶を思い返していた自分が居た気がする。