9/11/2011

September Eleventh


Ground Zero

先日、マンハッタン島の南部、かつて海岸が埋め立てられた場所で18世紀の木造船の船尾が発掘されたというニュースがあった。National Geographic News 8月31日

世界貿易センター跡地周辺の土地はその昔、ニューヨーク州を流れて大西洋に注ぐハドソン川を航行する船舶の停泊地だったという。発掘された木造船はハドソン川を行き来した帆船、或いは独立戦争時の輸送船ではないかといわれている。考古学的な検証はこれからになりそうだ。

いずれにしても、アメリカの貴重な歴史を伝えるであろう遺物が偶然にも”グラウンド・ゼロ”の再開発で発見されたとはなんとも・・・予想だにしていなかった事だと思う。あの同時多発テロから10年の歳月が過ぎた───、そういえば事件直後に全米で放送されたチャリティー番組 『アメリカ:ア・トリビュート・トゥ・ヒーローズ/ AMERICA:A TRIBUTE TO HEROES 』 あの時のニール・ヤングのパフォーマンスは今も忘れられない

僕は以前のエントリーで『25時』という映画について書いた。3月の震災以後しばらくこの作品についてあれこれ思い、今また、考えた上で再録したいと思う。(手抜きである旨についてはお詫びします)

映画『25時』は911の後、間もないニューヨークを舞台にしたスパイク・リー監督の作品で、エドワード・ノートンが主演。他にフィリップ・シーモア・ホフマン、バリー・ペッパーらが競演している。それまで人種的な論争や政治的な話題が多かったスパイク・リー監督のキャリアの中でも異色の作品だと思う。原作はデイヴィッド・ベニオフ───
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25th Hour
~"25th Hour" a film directed by Spike Lee (2002)~
” 決して振り返るな 昔の人生は忘れろ
電話も手紙もダメだ 二度と戻るな
新たな人生を築き 存分に生きろ
約束されていたはずの人生を

そしていつか 真実を話してやれ。
お前が一体何者で 何処から来たのかを
すべて話してやれ そしてこう言うのだ、
皆でこうしている事が 如何に幸せか

お前たちは存在しなかったかもしれない
この人生は幻かもしれなかったのだ ”


~『25時』台詞より抜粋~

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Music by Terence Blanchard *

冒頭、ニューヨークの夜景に二本の光が浮かび上がる。空にまで届く大きく眩い光。始めは何のことだか分からないが……やがてモニュメントの意味だと理解する。これはCGではなくて実際の映像だという。こうしてマンハッタン島に”幻”の世界貿易センタービルが聳え立つところから、この物語は始まっている。

バグパイプの通奏音がゆっくりと鳴り響く、そこにアラビア風の歌唱が旋回するようにして重なる──不協和音、そして軍楽隊の太鼓の重低音がすべてを切り裂くように轟く…音楽担当はテレンス・ブランチャード。本来トランペッターである彼だが、全編に渡りスコアは重々しい仕上がりとなっている。

登場人物の背後に写り込むグラウンド・ゼロの瓦礫の山、作業員たちとショベルカーのショット、或いは犠牲となった消防士たちのプレート類、街中に掲げられた星条旗など、先に述べた冒頭部を含めてこの映画では実際の映像が多く使われているのが特長だろうか…。今現在とは違った撮影当時のニューヨークのシリアスな様子や雰囲気がよく分かる。

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Written by David Benioff
~"The 25th Hour" is a novel by David Benioff (2001)~

主人公は収監されるのが決まっていた。その刑期は7年。自由でいられるのはあと24時間。刑務所でハンサムな若い白人男性を待ち受ける運命は恥辱に満ちているという・・・彼に残された選択肢は1 服役、 2 逃亡、 3 自殺、、、絶望を抑えながらも主人公は愛する者たちと淡々とした一日を過ごす。やがてパーティーの夜が明け、彼が親友に懇願したこととは?そして最後に父親が彼に申し出たこととは・・・

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最後に、一日は24時間である。過ぎれば必ずゼロに戻る。音楽の話をすれば、いわゆる西欧音楽の世界は構造上、長・短調すべて合わせて24調である。さて、この作品タイトルの”25時”とは時間表記でよく便宜的に使われているのとはまったく違う意味だ。”午前一時”の事ではない。

では?”25番目の時”の意味とはなんだろう・・・・・・